よしだだいすけ吉田賢良
※大介と書く史料もある。
杉七兵衛の次男として生まれ、吉田家に養子に行く。山鹿流軍学師範として藩校で講義できる身分であるが、毛利の家学が山鹿流というわけではないようだ。
剛直ながら生来病弱だったので、甥の松陰を仮養子にする。天保六年病没。
十五106-112十九116
幕末一192
高橋文博「人と思想・吉田松陰」(1998.清水書院)
吉田松陰/村田清風/山鹿素行

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