むらたせいふう村田順之、奨之のち清風
※清風とは号のようだが隠居後の本名。キヨカゼとも読む。
天明三年、門閥とはいえ五十石の家に生まれ、江戸に出て塙保己一(盲目の読書家。 のちに伊藤博文が息子を暗殺)に学び見識を深めた。経済学は海保青陵(桂川甫周の親友でラディカルな資本主義者)の著書をよく読んだ。 彼の神をも恐れぬ自負心を示すのが次の一首である。

来てみれば左程でもなし富士の山釈迦や孔子もかくやありなん

電力の鬼・松永安左ヱ門はこの歌を愛好していた。
経済関係の建白書をたくさん書いて認められ、毎日往復5時間の自宅から萩城に通勤し天保改革に邁進した。瀬戸内系新興商人の支持により関門海峡の海運を強化し、 特別会計の「越荷方」を設置。これが維新戦争の財源となる。軍事では坂本天山(坂本鉉之助の父)の兵学を導入して銃陣を改良、さらに高島流を研究させた。
その後藩政を退き私塾で教えていたが、安政二年に再び藩の呼び出しを受けた。中気の病身をおして登城したものの間もなく急死。
村田家末裔の一人が 「ななこSOS」などのアニメーター村田四郎氏である。
十六44-45十八226十九113-115
B・相澤邦衛「維新の回天と長州藩」(2006.新人物往来社)・「日本思想大系・本多利明・海保青陵」(1976.岩波書店)・浅川博忠「民は官より尊し」 (1995.東洋経済新報社)・「まんだらけZENBU・46号」(2010.まんだらけ出版部)
調所笑左衛門/吉田松陰

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