ひらたゆきえ平田宗武のち正輔
宝永元年生まれ。勝手方を経て家老となる。宝暦四年、濃尾治水工事の総奉行として「他藩であっても苦しんでいる人々を救うため」赴任。 漫画にあるような難工事のすえようやく完成させ、予算超過の責任を取って自刃。
宝暦治水で木曽三川の水害が完全になくなったわけではないが、一説では地元に 42万両の便益をもたらした。また薩摩藩にとっても、土木技術と市場経済のありかたを学んだ事は決して無駄ではなく、大きく見れば日本近代化を早めたともされる。 そう思わなければやりきれない。
三211-252,272-279四5-13,36,54-64,74-88
幕末十一142二十九148
B・牛嶋正「宝暦治水」(2007.風媒社)
島津重年/徳川家重/島津重豪

目次へ戻る