おうようめい王守仁
明代の1472年、浙江省紹興府に生まれる。先祖代々硬派の家系で、その一人に書聖・王羲之がいたという名族の子。しかし若いころは人並みに欲もあり、 何度も試験に落ちてようやく官吏になった。
最初は「理」を重んじる朱子学に傾倒していた。手始めに庭に生えてる竹の理を究めようと思って7日間観察し続け ぶっ倒れた。それから朱子学に疑問を持ち、陸象山の心学をもとに陽明学を生み出した。会稽山の陽明洞にこもって思索していたから陽明先生と呼ばれるようになったのだ。
学者がごちゃごちゃ難しい事を言い出す以前に、もともと人には自然と備わった理性(良知)がある。余計なものを洗い流し心を鏡のように磨けば宇宙の真理と一体化 できると陽明は説く。
明鏡止水のスーパーモードになった彼は武将としても無敵であり、多くの匪賊や反乱軍を平定した。決め台詞は「山中の賊を破るは易く心中の 賊を破るは難し」。
伯爵まで出世して1528年に没。
※肖像画で頭にかぶってるスーパーのカミブクロみたいのは「四方平定巾」というらしいよ。
※※赤穂浪士にケチつけた学者は荻生徂徠門下の太宰春台。
十四144
岡田武彦「王陽明小伝」(1995.明徳出版社)・島田虔二「朱子学と陽明学」(.岩波新書)・華梅「中国服装史」(2003.白帝社)
大塩平八郎/大塩格之助

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