まつだいらただあき松平忠明
家康の三代前に分かれた藤井松平のそのまた分家に中川家から養子に入った人。家紋も葵でなく五三の桐で、松平といっても実は大した身分ではない。
御書院番から蝦夷地御用に起用されるが、道路開削問題で徳内に敗れる。
この件について井上ひさし「四千万歩の男」では少し違う見方をしている。 イザベラ・バードの旅行記などを読むと、徳内さんが企図したような立派な道路は結局作られなかったようなのだ。
その一方で高田屋嘉兵衛とは上手くやっていた。人間には色々な面があるものだ。
※同時代に定信派の老中で三河吉田藩主・松平信明という大名もいて、 この人も北方領土担当。みんな混乱しなかったのか?
十二206
C・井上ひさし「四千万歩の男・蝦夷篇上」(1986.講談社)・柴村羊五「北海の豪商・高田屋嘉兵衛」(2000.亜紀書房)
最上徳内/高田屋嘉兵衛

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