ぴょーとるいっせいピョートル・アレクセーエヴィチ
まさかこのピーターの野郎、ピョートル大帝
1672年(綱吉が将軍になったころ)生まれ、1682年ロシア皇帝に即位。生粋のロシア人でありながら脱露入欧を目指す。パリで派手な宮廷外交を やりながらオランダで船大工になる。トルコにボコられながらスウェーデンを撃破する。自分は丸太小屋に寝ながら新都ペテルブルグを建設する。下層階級に出世の道を 開きながら労働者をこきつかう。貴族特権階級と闘いながら貴族の数を増やす。こう書いていくときりがないがとにかくロシアを矛盾だらけの大国にして1725年没。 日本では享保改革の真っ最中だった。
日本人と関係する仕事はロシア科学アカデミー設立で、貴族官僚には諸外国の文化を学ばせ、またあらゆる国から教師を招いて 教えさせた。後に作られたイルクーツク日本語学校もその一環である。
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アンリ・トロワイヤ「大帝ピョートル」(1987.中公文庫)
イワン雷帝/エカテリーナ女帝/デンベー/徳川吉宗

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