きゅうたろう久太郎または喜十郎
多賀丸の賄。1746年受洗、ピョートル・チェルノイを名乗る。1754年より日本語教師となった。1782〜86年没。
心の底では仏教徒であり続けた らしく、死ぬまで釈迦如来像を隠し持っていた。それを光太夫たちが日本へ持って帰り、伊勢で展示された。
ミドルネームで分かるのだが、トラベズニコフの親ではない。
六228十179-180
木崎良平「漂流民とロシア」(1991.中公新書)・同「光太夫とラクスマン」(1999.)
トラベスニコフ/利八郎/タタリノフ/トゥーゴルコフ/三之助/大黒屋光太夫

目次へ戻る