ジェイムズ=クック
1728年、スコットランド人の父とヨークシャー人の母の間に生まれた。子供のころはだいぶ苦労して、上昇志向で強硬な性格になってしまった。 港町ホイットビーに流れ着き船乗りになり、北海石炭貿易で腕を磨く。時あたかもフランスとの七年戦争が勃発し、底辺から這い上がるため海軍に転身した。
新大陸戦線に送られたクックは各地を転戦し、地理調査の重要性を痛感した。戦後カナダにとどまってニューファンドランドを精密に測量し、これだけでも世界探検史に名を残したといわれる。
1768年、イギリス政府から金星の太陽面通過観測(南北半球の測定値を比べると地球と太陽の距離が解る)、実は幻の南方大陸探索を命じられたクックは2度にわたって南太平洋を大航海し、 ニュージーランド・オーストラリア・ポリネシア・南極圏までも調べ尽くした。これが解体新書編あたりの話、ニューカレドニア等は新発見である。
3回目の航海は太平洋側からカナダを飛び越えてイギリスへ直通する北極航路を見つけろという無理な注文であった。しかしクックは行けるところまで行って、 アラスカ―カムチャツカ間がラッコの宝庫であることを見つけた。これはロシアが極東地域に再注目する契機となり、まわりまわって大黒屋光太夫一行が助かることになった。
年齢で判断力が衰えていたクックは、帰途立ち寄ったサンドイッチ諸島(ハワイ)で現地人への対応を誤って殺された。1779年2月14日のこと、平賀源内と大体同じ生没年である。
十七130
フランク・マクリン「キャプテン・クック世紀の大航海者」(2013.東洋書林)
サンドイッチ卿/大黒屋光太夫/平賀源内

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