さなだこまつ徳川小松
小松姫
徳川四天王・本多忠勝の娘。家康(秀忠説もあり)の養女となって天正十四〜十八年ころ真田信幸(最初はこう書いた)に輿入れ。第一次上田合戦の 戦後処理みたいなものだったが、きっかけはどうあれ二人は心底よい夫婦になった。
昌幸は犬伏で信幸と決別したあと、先回りして沼田城(信幸の居城)に向った。 大手門で「ちょっと休息するから中に入れろ」と命じたら、甲冑をつけ薙刀を持った小松が出てきて一歩も入れない。乗っ取りの意図を見抜かれた昌幸はすごすご退散した。 …というのは有名な話だが、近所の寺でもてなしたという説もある。
自分より先に側室が長男を生んだので、信之(改名)はその信吉を沼田に独立させた。しかし これが後年お家騒動の元となる。元和六年、48才で没。信之は「真田家の灯が消えた」と悲しんだ。
十九57,60,66
B・「真田三代」(2007.学研)
真田信之/徳川家康/真田昌幸/真田幸村/真田幸貫

目次へ戻る