かきぬまかんじろう
江戸の火消与力で「海国兵談」の世話人のひとり。
この人の事は手塚市郎左衛門を探していてついでに分かったのだ。 もともと武鑑というのは大名だけでなく幕府に何らかの地位を有する人物なら全て網羅した紳士録だったらしい。須原屋茂兵衛版のだと、 巻の三・30〜40丁目くらいに「定火消御役」の項があり、そこには配下の与力衆までもが付記されている。その飯田町チームの欄に 手塚と並んで柿沼さんの名も書いてあったのだ。
二人は火消与力という職業柄、大名旗本屋敷への出入りが多かったから「海国兵談」 の委託販売を頼まれたのであろう。しかし売上げが34部では、あまり優秀なセールスマンとは言えまい。
柿沼家の名は文政二年度まで 武鑑に載っているので、どうやら寛二郎さんは子平逮捕の巻き添えを食わずに済んだようだ。よかったね。
十22
「新編林子平全集第五巻」(1980.第一書房)・「江戸幕府職官考8」(2011.文化図書)・「役職武鑑編年集成」(1996-1998.東洋書林)
林子平/手塚市郎左衛門

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