まつだいらふまい松平治郷
結城秀康の四男の家柄、松江藩七代目藩主。名君と言われるが藩政改革はほとんど家老朝日丹波にやらせたもので、 本人は茶道に没頭し石州流の一派を開いた。天明飢饉の真っ最中に千五百両で茶器を買った逸話がある。
林子平が面会できたのは、 伊達宗村の側室になった姉が産んだ娘が正室だったから。文化三年に隠居し不昧を名乗り、文政元年に没した。
もう一つ意外な人間関係では、四代目桂川甫周とのものがある。「伊木肩衝」という茶入をめぐって甫周と知り合いになった不昧は、持病の痔を手術してもらったらスッキリ治った。 これで外科医に興味を持って藩の医者を何十人も華岡塾などに留学させた。こうして幕末までに松江藩はけっこうな外科大国になったそうな。
四276
B・大森文庫出版編集委員会「華岡流医術の世界」(2008.ワン・ライン)
林子平/伊達宗村/桂川甫周

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