ふくしままさのり福島正則
豊臣子飼いの武将なのに徳川に味方して、結局徳川に改易された人。秀吉の縁者とも言われているが、それだと二十四万石は少なすぎであった。
福島たちが東軍についた理由は、「朝鮮出兵時の恨みでとにかく三成が憎かった」「北政所のため」「あいつらなりに時勢を読んだ」など諸説ある。
武断派と呼ばれたが、家臣たちには慕われており、領地の政治もちゃんとやれる人であった。しかし転封先の川中島ではやることもなく寛永元年に没した。
※林子平の家系図によれば、先祖が一時福島家に仕えていたそうだ。
一171二45-46,284三65
福尾猛士郎・藤本篤「福島正則」(1999.中公新書)「新編林子平全集・第五巻」(1980.第一書房)
豊臣秀吉/石田三成/宇喜多秀家/徳川家康/林子平

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