ふじえだげき | 藤枝教行 |
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家祖は京の出身で、藤枝とは藤原氏支流の意味。静岡県藤枝市や藤枝梅安とは関係ない。五代前の姉が家光の御手付きとなり綱重を生み、
弟も甲府家家老となり二千石を得た。次代で四千石になったが瓦版は千石ゲタをはかせている。 教行は徳山家から養子に入ったが、役にもつかず吉原・大菱屋の 遊女綾絹に耽溺する。天明五年に吉原裏手の家で心中し、家老の不手際でお家断絶した。 ※実は同じ年に二万五千石の奏者番・植村家利という大名も遊女と心中 しているのだが、こちらは家来がうまくやったので騒ぎにならなかった。 | |
八191-193 | |
C・山本博文「江戸時代を〔探検〕する」(2005.新潮文庫) | |
林子平/徳川家光/徳川家宣/田沼意次 |