信玄の娘
無印編の最初のほうで3コマ出てきただけだが、そこに至るまで長い数奇な人生があった方だ。
その正体は武田信玄の次女で、 永禄初年に重臣・穴山梅雪に嫁ぎ一児を儲けた。ところがこの宿六は裏切って織田軍を引き入れ、実家は滅亡してしまった。
勝ち組になったつもりの梅雪は、 信長に挨拶するため上洛した。だがここで本能寺の変が起こり、悪の報いか巻き添えで殺された。一人息子もすぐあと病死して、穴山家は断絶。 未亡人は信玄を尊敬していた家康が引き取る事になった。出家し見性院と名乗る。
妹の信松院と共に寂しい余生を送っているところに、 土井利勝が妊娠した静ちゃんを連れて来た。ついに幸福な家庭を持てなかった見性院はこの母子を我が子のように守り育て、立派に保科家へ送り出した。元和八年に亡くなるまで、 満足して余生を過ごしたことだろう。
※弟の五郎盛信が養子に入ったのは保科家ではなく仁科家。
二279,300三58
中村彰彦「慈悲の名君・保科正之」(2010.角川選書)・「新編武田信玄のすべて」(2008.新人物往来社)
神尾静/保科正之/土井利勝/徳川家康

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