蝦夷地東部シベチャリの副首領。当時アイヌは松前藩の支配下で生活を圧迫され氏族は分断し、わずかな食料を奪い合って争う有様であった。
慶安元年に隣部族のアイヌを殺し、部族間の抗争に発展した。松前藩が適切な処置をしなかったため争いはどんどん広がり、その内「そもそも悪いのは和人である」という話になってアイヌ統一戦線が出来あがった。寛文九年には幕府の知るところとなり援軍が送られた。
松前藩は本土軍の兵力を借りて諸部族を威嚇しつつ、交易中止をカードにして内部分裂を誘う。すでにアイヌ社会は交易なしで生活できないまでに変質していたのだった。
シャクシャインはやむなく和睦に応じたが、だまされて酒席で謀殺された。
八161-163
A・榎森進「アイヌ民族の歴史」(2007.草風館)
コシャマイン

目次へ戻る