さこたとしなり迫田利済
通称は太次右衛門。薩摩の郡奉行をやっていたが、農政を批判して辞職した。安政二年没。
「敬天愛人」とは中村正直がキリスト教の精神を説明するために作った言葉で、西郷が使い始めたのは明治八年ころから。迫田は言ってないのだが、まあ生き方はそんな感じ。
十八203-210十九199-220二十90-97
「三百藩家臣人名事典・6」(1987.新人物往来社)・田村貞雄「新編 日本史をみなおす〈2〉戦争と近代」(1997.青木書店)
島津斉興

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