おぐりにうえもんのぶよし小栗信由
幕末に上野介を出した小栗家の四代目の弟。天正十七年生まれ、母は平田弘史劇画の主人公にもなった「どちへんなし」天野康景の娘。
大坂の陣で家康の本陣が崩壊した時、小栗兄弟のみは持ち場を死守して面目を施した。翌年五百五十石を分知され一家をなした(のちに七百五十石)。 その後も御膳番として秀忠に仕える一方、柳生流剣術と組み打ちの法を工夫して小栗流を創始した。寛文元年没。
門人三千六百人と言われ、中でも真髄を受け継いだのが土佐の朝比奈半左衛門。そのあと渡辺清太夫―足達茂兵衛―同・甚三郎―日根野弁治ときて坂本龍馬に至る。
十九176-178
C・江崎俊平「日本剣豪列伝」(1970.現代教養文庫)・平田弘史「無名の人々・異色列伝」(2005.青林工藝舎)
徳川家康/徳川秀忠/真田幸村

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