いわみじゅうたろう薄田兼相?
江戸時代の講談本では、もと小早川氏の家臣の息子である。謀殺された父の仇を追って日本全国をまわり、途中ついでに化物を退治したりしながらついに仇討を果たす話だった。 それがいつのまにやら、東西手切れの前から豊臣家に仕えていた薄田隼人正兼相という人と同一視されるようになった。理由はよく分からない。
縄でひっくくっている怪物は、信州飯田の物見大明神で悪さをしていたヒヒである。他に仙台の青葉山でウワバミも退治しているが、芝居などではヒヒ退治のほうがポピュラーだ。 思うに舞台の都合上、ヘビの模型を釣り糸で操演するより、役者にヌイグルミをかぶせて演じさせるほうが楽だからだろう。
過去はともかく隼人は大坂城のホープとして前線基地の守備をまかされた。しかしあろうことか、砦を抜け出して遊郭に遊びに行ってた隙に夜襲され砦は陥落してしまったのだ。
木村重成「薄田にはがっかりだ。正月のカガミモチのてっぺんのダイダイみたいに役立たずだ。このダイダイ武者め」
真田幸村「奴は大坂でも一番の腰抜けと評判だからな」
これはもちろん隼人を発奮させるためにわざと罵倒したのである。たしかウルトラマンタロウにそんな話があった。
発奮した隼人は汚名を返上すべく、 夏の陣で徳川軍に突撃し後藤又兵衛に続いて討ち死にした。ヘビやサルには勝ててもタヌキには勝てなかったよ。
二295-299三7,14
高橋圭一「大坂城の男たち」(2011.岩波書店)・「増補日本架空伝承人名事典」(2000.平凡社)・綿谷雪「実録後藤又兵衛」(1984.中公文庫)
徳川家康/小早川秀秋/豊臣秀頼/淀君

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