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風雲児たちには出てこないけどやっぱりこいつらも風雲児たち事典

ジョン・ハンター(1728-1793)

小塚ッ原で「ターヘルアナトミア」を参照し西洋医学の進歩ぶりに驚いた玄白たちであるが、実はそのちょっと前まではそれほど進歩してはいなかった。西洋においても解剖は見世物に過ぎず、臓器の一つ一つがどんな働きをしていてどうして病気になるのか皆目見当がつかず、医大は古い学説に囚われていて、外科は内科に差別されていた。そんな暗黒時代を切り開いた一人が風雲ナイフ野郎ジョン・ハンターである。

ジョンは英国スコットランド・グラスゴー南方の農村で生まれた。子供のころから学問は大好きだが学校は大嫌い、自分のやりたいことしかやらないワガママな性格だった。ロンドンでぼちぼち成功していた兄ウィリアムを頼って上京、コヴェント・ガーデンの解剖教室を手伝っているうちに才能が覚醒し、独立をはかる。

七年戦争に従軍したり歯医者を手伝ったりしながら実績を積み、1768年には聖ジョージ病院の常勤外科医となりここを根拠地とした。大量の患者を診察しつつ講座を開いて新人育成につとめた。王族から御者まで分け隔てなく診察し、貧乏人からは金を取らなかった(その代わり死後に再解剖させる約束で)。

彼のやり方は徹底した実証主義であった。闇社会と結託して死体を盗みまくり、それを解剖して生前の症状と照らし合わせ、病気の原因と治療法を推論して生きている患者に試す。その者が死ねば墓場から掘り出して効果を確認する。容赦ない実験精神は自分の肉体にまで及び、淋病患者の血液を己のペニスに注射して感染してみる事までやった。

レスター・スクエアの広壮なハンター邸には暗黒街に通じる裏口があり、夜な夜な墓荒らしが死体を運び込んでくる。「ジキル博士とハイド氏」はハンターがモデルである。ロンドン西郊外アールズコートの別荘にはヒョウ・猿・レイヨウ・ジャッカル等が集められ、ペンキでシマシマを塗ったロバとシマウマを交配させるなど好き勝手な実験をやっていた。「ドリトル先生」もハンターがモデルなのである。

ハンターは小ピットやフランクリンやハイドンといった大物から生まれたばかりのジョージ・バイロンにいたる無数の患者を診察した。歯科・産科・衛生学・生物学・地質学をことごとく極め、膝窩動脈瘤バイパス手術・電気ショックによる救急蘇生法・断裂アキレス腱再生などを考案し、臓器移植・冷凍睡眠・人類アフリカ起源説などのアイデアを発想した。王立科学協会に握りつぶされた論文では進化論さえ示唆していた。

ハンターは1793年に狭心症の発作で亡くなった。彼を憎む俗物(兄や甥も含む)はその業績を盗み/抹殺しようとしたが、ジェンナーやパーキンソンなどの弟子たちは実証主義を受け継ぎ、世界中で新しい医学を広めていったのだった。ハンター生涯の遺産(ニワトリのトサカに移植した人間の歯とか)はハンテリアン博物館に保存されている。

※参考文献
ウェンディ・ムーア「解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯」(2007.河出書房新社)

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