広南白象?
畜生
ゾウだから「人物」じゃあないのだが、せっかく参考文献を見つけたので書いておこう。
徳川吉宗はオランダ人に読ませた洋書の中でゾウが実在する事を知り、 軍事目的かなにかあって唐人経由で注文してみた。オスメスひとつがいの仔象がベトナム人のゾウ使いとともに、享保十三年六月に長崎に到着した。メスのほうはそこで死に、 翌年オスのみが長崎奉行所役人の護衛で江戸へと出発した。
白象と呼ばれているが本当は灰色で、日本到着時点で7歳、体高5尺5寸(1.7メートルくらい)。 成長期なので旅してるうちにどんどん大きくなり、役人と沿道住民の苦労はたいへんだった。好きな食べ物はあんなしの麦まんじゅう、九年母ミカン、黒砂糖、竹、それに灘の生一本。 怖いものはネズミ。オナラは騒音公害の域だった。
四月に京に入った一行は清涼殿で中御門天皇に拝謁した。このときもらった従四位とは吉良上野介と同じ階級である。 大名をどつきまわせる身分だよ。すごいぞう。
途中何人か踏み潰しつつ、78日かけて江戸に到着した。しかし当の吉宗は3回くらい見たら飽きてしまい。 浜御殿で13年間ほっておかれた。仕事しなくても食費が年に百三十両もかかるのでみんなもてあました。殺そうとして毒の餌を混ぜたら鼻で選り分けたという事があったかもしれない。 餌をあげなくしたら曲芸をして餌をねだったという話もあった気がする。
ついにゾウはオツベルだか源助だかいう百姓に払い下げられた。中野で見世物にされロクに餌ももらえず、 助けに来てくれる仲間もいなかったので病み衰えて寛保二年十二月十一日に死んだ。かわいそうなゾウ。
※黒田硫黄はこの話をもとに「象の股旅」というマンガを書いている。
※※細野不二彦「ギャラリーフェイク」などでは、少年時代の伊藤若冲が京都を通過するゾウを目撃していて、その記憶に基づき数々の象図を描いたことになっている。
十五32
石坂昌三「象の旅・長崎から江戸へ」(1992.新潮社)・黒田硫黄「黒船」(2001.イースト・プレス)・細野不二彦「ギャラリーフェイク34」(2018.小学館)
徳川吉宗

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