ルチアだかルキアだかルーシーだか
安藤信正のセリフの吹き出しの中に小さく描いてある人。よく見えないが手に持った盆の上に乗せているのは自分の眼球である。
キリスト教がまだ非公認の新興宗教だった4世紀はじめころ、シチリア島のシラクサにルチアだかルキアだかルーシーだか言う娘さんがいた。 母親が病気で苦しんでいたため、物は試し、聖人の墓に巡礼してみたらたちまち母は元気になった。ルチアは婚約を破棄して信仰に生きる決意をした。 怒った婚約者は役所に訴えた。
シチリア総督はルチアを捕まえてさんざん拷問したけれど、どうしても棄教しない。しまいには両目をえぐりとられたが、 聖母マリアのお恵みでまた目が生えてきた。業を煮やした総督は娼家に連れてって肉奴隷にしようとしたが、雄牛で引いても動かせない。文字通りの不動心である。 ついに役人は彼女の喉を剣で貫いて殺してしまった。時に西暦304年12月13日くらいであった。
…という伝承はどこまで本当やら分からんが、 名前がラテン語の「ルクス(光)」に通じるということもあり、目玉をほじくられたルチアちゃんは盲人の守護聖人として祀られるようになりました。17世紀初頭、 人を殺してシチリアに高飛びしてきた画家カラヴァッジョは地元の伝承を聞いて「聖ルチアの埋葬」を描き、実体験に基づく死体描写で名画となった。
一方ナポリの王様は「光=灯台」という連想からか、新しく作った波止場にサンタルチアという地名をつけた。ここが観光名所となり民謡に歌われるようになり、 20世紀になって大歌手エンリコ・カルーソーがレコードに吹き込んで大ヒット、世界的にその名を知られるようになった。
でもって日本の芸人が (大泉滉とかチャーリー浜とか諸説あり)サビの「サンタルチアー、サンタルチアー」をもじって「なんたるちあサンタルチア」というギャグを作った。 日本ギャグ史上最長の製作期間ではないだろうか。
幕末二十一207
オットー・ヴィマー「図説聖人事典」(2011.八坂書房)・藤沢道郎「物語イタリアの歴史Ⅱ」(2004.中公新書)

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