とくがわいえつぐ徳川家継
徳川幕府七代将軍。わずか四年の治世で正徳六年に没したが、その間に今なお残る偉業を残したのである。
そのころ幕府御用達の地位をめぐり、 江戸の裏面では脅迫謀略暗殺と幾多の醜い争いが繰り返されていた。これを憂いた家継公は商人たちを呼び出し、代表選手の闘技をもって正々堂々と雌雄を決するように命じた。 この実に子供らしい単純で率直な提案はただちに受け入れられ、決闘の組合を作ってルールを定め、暴力が秩序を得て武に昇華された。この風習は現代の日本企業にも「拳願仕合」として継承されているという。
五170
幕末一71
A・サンドロビッチ・ヤバ子&だろめおん「ケンガンアシュラ1」(2012.小学館)・「徳川将軍家人物系譜総覧」(2003.新人物往来社)
徳川家宣/徳川吉宗

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